近況報告
とあるゲームの企画を手が空いた隙間に行っています。 基礎となるシステムは頭の中でざっくりと完成しました。 ジャンルとしては、『トランジットアドベンチャー』ということになりました。
現在はキャラクター設定とシチュエーション/シナリオを中心に定期執筆中。 外見設定が決まり次第サイトでイラストを公開予定です。
イラストのリハビリをする必要があるので、 すぐには出ません。気長にお待ちください…。
殴り書きの日記
「目的意識があって何かを成し遂げたい」コレがないのにもかかわらず、 のうのうと生きていられるそのお花畑な脳味噌はどうなっているんだ?と小一時間問いただしてやりたい気分になった。 武士みたいな言い草だけどさ、夢を実現できないならそこで切腹の一つぐらいできるよな? っていうドライな乾ききった気持ちが今自分の中には確かに存在している。
自分の夢を実現することに対して最小の手数で最大限の結果を求めている…ってことなのかな?それとも、自分自身の夢自体の具体性やビジョンの解像度が足りていないのか。 どっちかな…?両方なのかもしれない。
だからこそ、自分自身がゲームを仕事として作ることに対して、 自分の世界の何かが穢されると感じてしまうからこそ、潔癖を覚える(?)のかも。 潔癖の使い方あってんのこれ?
お金がかかわるとどうしても「ここまでやったら他のところは切り捨ててでもやらなければいけない」だとか、「ここまでやっておけばいいだろう」のような邪な気持ちが出てきてしまうんだろうか。 あとは、「自分が作ってきたものに対して、自分ができる最大限の熱量を込めてきたのにコレだけしかお金を貰えなかった」のように、結果として成し遂げたものの評価が可視化されて消費されてしまうことに対する失望も含まれているんだろう。
自分自身がコレだけ熱量を込めて行動しているのに、誰かが足を引っ張ると殺したくなるほど冷酷になれるのかもしれない。他人を気にしても何も変わらないのになんか怖いね。 だから人間嫌いなんだよな。
結局のところお金儲けはあくまで、「自分自身が何か欲しいものがあって、それを手に入れることで幸せになりたいから」だとか、「自分自身ができることで誰かを幸せにして、その対価として戴く」とかそういう手段でしかないんだと思っている。
決して「今を生きるためにしょうがなくやっている」行為ではないのかもしれない。 それ自体は目的になりえないと思う。
まぁでも、何でも変えるしどう扱ってもいいっていう点で言うと割と好きかもしれない。 そこにあるだけでいいし。 何かしら不安を抱えているからこそ、自分自身の安心を買うために 過程として手に入れるものなのかもしれないな。
生きることが自体が目的になっているのがそもそも破綻していると感じる。 自分が生きることによって得られる何かがあるんじゃなくて、 そこにいるだけで何かが起こるのかもしれない。と思うことにした。
小説『びっとあびっと!』はそういう潔癖症なところが全面的に出た作品だったのかもしれない。色んな人の想いが一つの目的に込められるとその先にたどりつく結末をコントロールできなくなる。 そういう中での子供のような純粋な気持ちを捨てないでいたい、みたいな思いを描きたかったんだな。だから、登場人物の考え方やセリフがフワフワしていてイマイチしっくりこない感じがず~っと続いていたのかもしれない。
なんていう思考実験をするためにキャラクター像を立てて脳内で演じながら書いていた小説なので、書くだけで結構なエネルギーを持っていかれるタイプの小説だったなとしみじみ思いました。いまだに完結させてないし放置してるから内容忘れてるんだけど。
だからこそ、それを成し遂げるためには、「もっと自分自身のことを知ること」、そして「それを実現するために具体的にどう行動するかを限界までハードルを下げてどこから始められるか考えること」が重要なんだなと学びました。
…急に何言いだすんだって話ね。
更新予定
Obsidian 関連記事 > Blog 制作関連記事 > Unity ゲーム制作記事 の順番で記事を作っているので割と更新が遅いかもですね。
現在は Obsidian × Github 導入記事を執筆中。 やりたいことが多くてありがたい限りだね。
辛気臭い話は終わり。 では。